モノローグ

小学生のころから通ってくれていた生徒が急逝した。


きょうだい3人を預けていただくなどして付き合いの長く深かった私は、センセイとして、写真家として、この日から9日間を彼とご家族と共に過ごすこととなった。


そこで見聞きしたものや感じたことについて、ご家族の許可をいただきここに記録を残すことにする。



6月19日(土)の昼過ぎ、iPhoneの不在着信と未読メッセージに気づく。発信元は彼の姉で「緊急連絡です。折り返しお電話ください」とあった。普段の彼女の明るく元気なイメージとは異なる文体に違和感を覚えはしたものの、基本的な気分は「やれやれ」という感じのものだった。


絶対にサングラスなんかかけない友人から突然「レイバン大特価!」みたいなメッセージが送られてくることがたまにある。そんなときはリンクを踏まないようにスクリーンショットを撮って「乗っ取られているよー。パスワード変更して再ログインした方がいいよー」と連絡してあげれば「ありがとー!」と返ってきて一件落着だ。今回もきっとその類だろう。トーク画面のスクショを撮って「乗っ取り?」のメッセージと共に返信する。すぐに「違います」と返ってきたので慌てて電話をかけた。


まさに「言葉を失う」という状況だった。頭の中を引っ掻き回して、かける言葉を掴み上げては、これは違うと思い直して捨てる。掴み上げては、また捨てる。結局「ああ、うん、連絡ありがとうね」みたいな間抜けた返事だけしかできないまま通話を終えた。着信履歴を見直すと、午前のうちに彼らの母からも着信があったことに気づいた。すぐにかけ直さなければと思ったが、できなかった。視界も思考も焦点が合わないまま電車に乗った。


クラウドストレージを開いて、最近撮った彼の写真を探す。3週間前の5月26日は皆既月食が観測できると期待されていた日で、理科の授業を口実にカメラを提げて子どもたちと夜の屋上に上がった。あいにくその夜はずっと曇っていて月食はおろか月の姿すら拝むことができなかったのだが、授業時間に夜の屋上に上がるというイベントにはしゃぐ子どもたちの顔を見て、せっかくだからと遠く光るビル群の夜景を背景に即席のポートレート撮影会をしたのだった。


最近は顔認識技術の精度が向上していて、ある写真に写っている人物と同一人物の写真を自動でグルーピングしてくれる。皆既月食の日のポートレートは、クラウドに散らばっていた彼の7年分の写真を瞬時にまとめあげた。できたアルバムに彼の名前をつけ、それを眺めながらぼんやりと電車に揺られていた。


電車を降りるとそのまま彼の自宅へ向かった。撮影などで何度か行ったことがあったのだが、マップアプリを頼りに歩く。


長男が喪主を務めることになったようで、きょうだいは来客や電話の対応に追われくるくると動き回っていた。母と話し、一緒に泣いた。電車で眺めていたアルバムを見せようかと逡巡していたところ、母の方から「写真ありますか。遺影のことなど考えなくてはならなくて」と持ちかけてくださったのでみんなで見た。「かわいいねぇ。かわいいねぇ」と、写真を見ながらみんなで笑って泣いた。


イルムの子たちに伝えるのは、学校からの公表のタイミングに合わせることにした。あと5日間は胸にしまっておかなければならない。


教室に戻ると子どもたちは定期試験に向けて一生懸命勉強をしていた。スマホを持っている子が少なくないので、予期しないタイミングで訃報を知ることがあるかもしれない。その場合に適切に対応ができるよう、スタッフを呼び手短に状況を伝えた。私と同様に言葉を失いながらも、自分たちの役割をすぐに理解してくれた。「頼むね」と肩に手を置くと、また涙が溢れてきた。何も知らず休み時間に友だちとはしゃいでいる子どもたちの姿を見るのは切なかった。


その日の夜、同業者がSNSで命に関わる話題について思慮の無い発言をしているのを見た。景気がいいんだか何だか知らないが、道端のクソでも踏むといい。



日曜日も月曜日も定期試験対策で教室に行った。提出物をチェックし、追加で必要な教材を印刷した。コピー機にはいつもの部数を入力した。いつもどおりを意識しつつ、子どもたちに変わった様子がないか観察する。ぴんと張った空気の中、みんな黙々とやっていた。


スタッフに教室を任せ遺影の相談のため家に向かうと、彼が帰って来ていた。「眠ってるようにしか見えない」という、よくあるセリフそのもので、穏やかでかわいい寝顔だった。でも触れると冷たかった。愛おしさと喪失感が混ざり合い、思考と感情を鈍らせる。枕元では彼の好きだった音楽がずっと流れていた。


ごく親しい身内数人と葬儀屋さんが来ていて、ダイニングテーブルには各所に提出するためのさまざまな書類が広げられていた。年齢の欄に書き込まれたあまりにも小さな数字を見て胸が締めつけられる。


葬儀の料金表には謎イベントと謎アイテムがびっしりと並んでいて、その総計は天文学的な数字をはじき出していた。私を含めテーブルを囲む人々は思考が停止してしまっていて言われるがままになっていたのだが、後日その見積もりを見た大阪の友人が「ありえんわ!!」としっかりブチギレてくれたおかげでみんな目が覚めたらしい。「自宅葬にすることにしました」「お花と写真と彼の好きなものをたくさん飾って送ってあげようと思います」という連絡がきて、心底ほっとした。


教室に戻って手持ちの写真データを現像し直してきれいに仕上げ、プリントしてまたお家に届け、また教室に戻った。


憔悴し切っているときというのは、選んだり決めたりするのがしんどいものだ。たとえばずっと食事を摂れていないことを心配して「何が食べたい?」と尋ねてくれるのはありがたいが、何も言わずにとんとスープを置いてくれた方が救われるようなときがあると思う。だから何をしてほしいのかはなるべく尋ねないようにして、自分の頭で考えて、悩みながらも、動いた。


多くのスタッフが線香をあげたいと言ってくれて、日にちと時間をわけて一緒に彼の家に通った。花と差し入れは日に日に増えていった。


水曜日の深夜、創業時からお世話になった方の訃報が届いた。知らせてくれた友人が「顔を見に行かないか」と言ってくれたのだが、「無理です」と答えた。事情を話し、遠くから冥福を祈らせていただきますと伝えた。もうこれ以上は抱えられなかった。



彼の家と教室の往復を続けているうち、子どもたちに話をする日になった。何を伝えようかとずっと考え続けていたが、結局何もまとまらないままにその日を迎えてしまった。正直にいうと、はじめから「まとまるわけねぇ」とわかってはいたのだけれど。


子どもたちよりは幾らか長い人生も、センセイとしての立場や経験も、愛する人の死に際しては何の役にも立たなかった。私は大人であることを一旦やめて、この数日間見聞きしてきたこと、感じたことについて、対等な立場で彼らに話した。私をぐるりと囲んで、みんな一生懸命聴いてくれた。


「一緒にお線香を上げに行ってもいいですか」と何人かの子が言いに来てくれた。ずっと考えていたことがあり、それを伝えた。

「お別れをする」とか「お線香を上げる」という言葉があるが、それはつまり永眠する親しい人の姿を目の当たりにするということだ。それはきっと、子どもたちにとって相応のダメージを与える経験となるだろう。別れを悼み行動すること自体は尊いものだが、予め気持ちの準備が必要なことだと考えていた。それを想像してみて、もしも受け止めきれないかもしれないと感じたならば、遠くから心の中で冥福を祈るという在り方を選んでもいい。私は最近別の親しい方も亡くしたが、その方のもとには行けませんと伝えた。君たちも無理はしなくていいんだよ。と。


話が終わり帰りがけ、女の子が「やっぱり行けません」と泣きながら言いに来た。「いいんだよ。ありがとね」と伝えた。がんばったね。えらかった。


彼の母から連絡があり、通夜と告別式の写真を撮ってほしいと頼まれた。「もちろんよろこんで」と伝えた。調べてみたところ記録係という役割らしい。私は毎日必ず写真を撮るのだが、この数日はカメラを手にしていなかった。


それまでは大人を連れて行けばよかったのだが、次の日からは子どもも一緒に連れて行くことになるので緊張した。待ち合わせ場所に行くと、生徒と保護者がたくさんいた。子どもたちは彼が好きだったジュースを持っていた。彼の家に着くと、不慣れな作法をがんばってこなし、しっかり正座をして彼の母に生前の様子を話して聞かせていた。みんな立派だった。


帰り道にある男の子が「緊張したー」と呟いた。そういえば子どもの頃から葬儀というのはよくわからなくて疲れるものだった。親しい人に会いに来ただけなのに、なぜ棒に火をつけたり鐘を鳴らしたり手を合わせたりしなければならないのだろう。お坊さんが低い声で唱えるお経の内容は、大きくなったら意味がわかるのだろうか。さっきまで声をひそめて涙を流していたはずの大人たちは、どうしてお寿司を食べたりビールを飲んだりして笑っているのだろう。この人たちは悲しいのだろうか。楽しいのだろうか。子どもの頃そんなことを考えていたのを思い出すと同時に、その頃から自分の精神がそれほど成熟していないことに気づいて心の中で少し笑った。



告別式は通夜と同様に親族のみで執り行われ、私も記録係として参列した。葬儀を行う家族というのはとにかく対応すべきこと・人が多く、休まる暇がない。連日膨大なタスクをこなすことで時間を少しずつ前へと進めているようにも見えた。


この日まで気丈にがんばり続けた母の慟哭に胸が引き裂かれた。最後の挨拶まで、家族みんなで支え合ってがんばった。


「出棺後も一緒に」と言っていただいたのだが、もう限界だった。カメラを置いて母の手を握り「ごめんなさい。ここまででいいですか」と伝えると、涙が溢れて止まらなかった。


他の参列者と共に車を見送り、彼とご家族と過ごした9日間が終わった。



音楽が好きだったね。


恥ずかしいんだけどさ、実はさっき、このモノローグを仕上げる前に好きな曲を片っ端から歌ってたんだ。久しぶりに大きな声を出して、少し心がすっとした。音楽はいいね。


君が好きだったアーティストのプレイリストをiPhoneに入れて聴いてるよ。まだ歌詞も曲名も頭に入っていないし毎日聴くのはつらいけれど、これからもたまに聴くね。


出会えて幸せでした。

愛してるよ。ありがとう。


素晴らしい音楽が、いつも君と共にありますように。

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