教育からギフトへ。

「教育」や「教師」という手垢にまみれた言葉を使わずにそれについて新しい態度で語る方法はないかとずっと考えてきましたが、最近取材を受けて話しているうちに少しわかってきたので書き留めておこうと思います。

「教育からギフトへ」という話です。

年齢と知識の多寡が規定した「教師」と「生徒」という近代的な関係性はインターネットによって吹っ飛びました。

AIをはじめとするテクノロジーの発達と健康寿命の延長と少子高齢化は、人々のお金と時間と労働に関する価値観を変えつつあります。

未来に実現すると思われたことが次々と現実化し、先端だと思っていた知識や価値観はあっという間に過去のものとなり陳腐化します。

このような状況での学びの場面においては、アップデートできない教科書は役に立たないし、専業として教育に携わる人々だけで対応しようとするのは、文字通り、無理です。

では教育をどうしたらよいか。私は

全ての大人たちがその能力と専門性、そして時間を少しずつ子どもたちに寄ってたかってギフトする。

という形がよいのではないかと思うのです。

別段斬新な考えではありません。

このような風潮を具体化するような事例はいくつも生まれています。新しいというよりもむしろ、いつからか「教育」という言葉で語られるようになったもっと人間に自然であったはずの営みが、その本来の姿へと、全ての人の掌へと、回帰していくような動きだと思っています。

ところで、最近Eテレがやたらおもしろい。

「あーこの哲学番組やたらおもしろいな」と思ったら脚本が古沢良太さん。

「この音やたらかっこいいな」と思ったら作曲が吉井和哉さん。

「この歌やたらグッとくるな」と思ったら作詞クドカンさんで作曲星野源さん。

エンタメの一線で活躍する人たちが、その能力を子どもたちのために発揮している。こういうのたまらないのです。

芥川龍之介もそう。

あんなに神経質そうな難しそうな顔した人が、『蜘蛛の糸』みたいな児童向けの作品を残してる。ニヒルな表情の奥ではどんな思いがあって筆をとったのかと想像すると、そこに子どもの姿があったのかと思うと、もうすごいグッとくる。

ふくろうロゴをデザインをしてくれた河原さん。

実験教室の山崎博士。

プロカメラマンの竹之内さん。

ツアーコーディネーターのゆきえさん。

デンマークのグレゴリーをはじめとする友人たち。

人形師の栗山さん。

特殊造形師の河津さん。

水彩画家の北さんとお芋さん。

こどもホスピスプロジェクトの田川さん。


他にもたくさんの人々が、その専門性を生かして、弊スクールに関わる子どもたちと大人たちに素晴らしい学びと体験をギフトしてくれています。

「学びの空間にここではない世界とプロフェッショナルを接続する」

依頼する際には弊スクールが教科指導だけではなくイベントとツアーにも取り組む理由を体当たりでお伝えしています。

これまで依頼を断られたことは一度もありません(たぶん)。

専業としての「教育」は終わり、今後は貢献と複業の文脈でもっと「ギフト」が広がっていく

と思います。


じゃあ教育がギフトとなって全ての大人が関わるものとなったとき、いま教育を専業し「教師」と呼ばれている人々の役割はどうなるか。


ギフトの時代における「教師」の仕事は大きく

・キュレーション

・ネゴシエーション

・ファシリテーション

になると思います。


キュレーションとは、世界に散らばる学びや体験から子どもたちにとって良質なものを選び取ること。感度の高いアンテナと好奇心が必要です。

ネゴシエーションとは、その学びや体験のプロに対して「◯◯という理由であなたにギフトしてほしい」と交渉すること。自分の言葉で伝えられる情熱が必要です。

ファシリテーションとは、子どもという存在の深い理解に立って学びと体験の最適化を図ること。各分野のプロは、多くの場合子どもに効果的に伝える技術は持ち合わせていません。これを補完する役割が必要です。


そしてこのような役割を果たすギフトの時代に「教師」が座るのは、毎日子どもたちと一緒に新しいギフトを味わえる「学びの特等席」であると言えます。


まだまだ仮説であり、思考と実践でもっと洗練していかなくてはなりませんが...


教育からギフトへ。


やさしくてたのしいと思うのです。