中学生が考えた「コロナと私」
5月に「コロナと私」をテーマに中学生に書いてもらった作品をいくつか紹介します。
課題はGoogle Classroomで出題し、Googleドキュメントで提出してもらいました。
課題として出されたものに対する子どもたちの表現が、大人からの教育的な要請に毒されていないかどうかはわかりません。でもやはり「あのとき子どもたちは何を見て、何を感じていたのか」を知りたくて、彼らに書いてもらうことにしました。
彼らの生活がその若さに相応しく充実したものとなるよう、私たちなりに思考と実践を重ねていこうと思います。
コロナによる気持ちの変化
3月2日の放送での次の日から私は今に至るまで成長したような気分です。
放送で3月三日から休校ですと言われ私たちはとても喜びました。しかし、こんなに長い休みになるとは思ってもみませんでした。最初は喜んでいましたが、次第に飽きてきてしまいました。そのままだらだらと過ごし卒業式を迎えました。家から出る前は面倒くさかったですが、学校につき少し悔しくなっていました。理由はきっと今までの六年生と自分たちとの違いです。それがきっと悔しかったんです。
卒業式が終わり、家に帰って、制服から着替えニュースを見ていました。そこで、「新型コロナに便乗した詐欺」というものが出てきました。今までは「ふーん」程度にしか思っていなかったそれも、その時は違いました。なんだかすごく嫌な気分になりました。しかし、時間がたつうちにその気持ちを忘れていました。
そんなこんなで中学の入学式の日、何故かそのことを思い出したと同時に、その気持ちの理由がわかりました。きっと、コロナに負けないようにいろいろな人が我慢したり頑張っているのに、コロナに関係があり他人に迷惑のかかることをしている人が許せないと思ったからだということです。このことでこれは、私自身の成長だと思いました。
なので私はこのような、心の変化を大事にしていくと決めました。
コロナからの始まり
この世界は今コロナという怪物のようなものに支配されています。
僕はこの年小学校を卒業し、中学校に入学しました。
新しい中学校生活を楽しみにしていたのに休校からの始まりとなってガッカリしました。でも僕は休校期間中のなかで、出来ることを探して新しいことに挑戦してみました。家族に食事をつくることにしました。
ある日の夕食には牛丼をつくりました。材料は牛肉、たまねぎ、家にあって入れたくなったのでごぼうも入れました。僕が好きな白滝も入れました。味付けは酒、砂糖、しょうゆ、みりんの順番で入れるといいと母に教えてもらい入れました。難しかったところは味つけです。
なかなか味が薄いままでしたが、うまく調整して美味しくなりました。
最後に玉子とじにして完成しました。味はとても美味しくてご飯にあいました。思ったより大変でした。けれど美味しいと家族に言ってもらえてとても嬉しかったです。こんな体験などから料理をすることが楽しくなりました。
コロナのせいで出来なくなったことがたくさんありました。けれども新しく始められたこともありました。このようなタブレットでの勉強、オンラインの授業もそうだと思います。僕は今コロナという怪物から逃れるにはまず一人一人がコロナについて知ることが必要だと思います。そして自分の行動が世界にどんな影響をうけているか、そういうことを考えてほしいです。
感謝して我慢して
コロナでいろんなところが使えなくなっている。
コロナでどこへも行けない。
コロナでいろんなことができない。
そんな毎日はもう嫌だというのが事実です。
今日という今日も学校が休校、みんなに会えない。
オンラインでみんなに会う?
それより実際に会って話したい。
では、どうしたらいいのか。
たったら感謝して我慢するだけである。
日々コロナを終息させようとして努力してくださってる医療従事者。
感染というリスクを背負いながら
仕事をしてくださってる方々。
コロナから守ろうとしてくれる大人の方々。
そして僕たちに勉強をしてもらおうとしてくださってる方々。
いろんな人に感謝をするだけである。
実際のところいつ終息するかはわからない。
だったら自分にできることをしよう。
なるべく外へは出ない。
家族と買い物へは行かない。
買い溜めをしない。
マスクをする。
そしてある意味この期間は自分を高めることのできる期間であると考える。
なぜなら、いろんなことができるからだ
部屋の掃除、食器洗いなどの手伝い。
規則正しい生活。
勉強では
自習の習慣をつけるなど様々なことができると思う。
このようなことはこれからも考えていきたい。
いつ、誰が感染するかもわからない。
いつ、終息するかもわからない。
でも、いつかみんなに会えて
また、楽しい日々が帰ってくると思う。
その日を待ち望んで
感謝して
我慢して
僕たちにできることはそういうことだと思います。
これからもできることをやるのみ。
普段の生活に戻るために今僕にできること
コロナウイルスの流行により、自粛生活が始まりおよそ2ヶ月、もしコロナウイルスの流行が無かったら僕は今頃何をしているのだろうか。
今のぼくは、塾や学校の課題をしたり、ゲームをしたりしている。家族以外の人とはLINEで連絡をしたり、イルムのオンライン授業で話したりするだけだが、それも自粛生活の中の一つの楽しみなのだ。
外出はほとんどしていないが、毎日野球の素振りをしたり、週末にはお父さんと野球をしたりしている。
もしコロナウイルスが流行していなかったったらぼくは、違う小学校出身の人と友達になったり、部活で野球をしたり、友達の家に遊びに行ったり、小学校の時とは違う生活を送っていたかもしれない。
コロナウイルスの流行で僕の生活は大きく変わった、でもこの自粛生活も早くコロナウイルスが収束するのに必要なことだと思う。
だから、今は三密を避け、ソーシャルディスタンスを保ち、外出したら手洗いうがいや、
顔を洗ったりもしてして感染対策をし、コロナウイルスが収まり、早く自由に外出できるように僕もできる限りのことをしたい。
コロナと私
新型コロナウイルスについてどう思いますか。僕は憎いと思います。その理由が3つあります。
まず1つ目は、外出が今まで通り出来ない事です。外出を控えなきゃいけないので、あまり長く外に居たり、運動を思いっきり出来ないので運動不足になったりします。その為 身体がだるくなったりすると思います。他に、家にこもりっぱなしだと 精神的に酷くなるとも思います。
次に2つ目は、学校に行けない事です。学校に行けないと不足する事もあると思います。例えば、より多く勉強が出来なくて学力が落ちたり、友達に会えない事とか 楽しみが奪われストレスが溜まったりします。僕は、小学校の卒業式や、中学校の入学式が今まで通りに普通に行われなかったのが悲しかったです。制服もまだ1回しか着てません。
このままだと3分の2が休みになり 、ニュースでは 9月から学校が始まるかもしれないと言っていました。感染拡大を防ぐ為には 学校に早く行きたいけどしょうがないと思います。
最後の3つ目は、イベントやスポーツ大会が延期や中止された事です。東京オリンピック、パラリンピックが1年延期されて 悲しいです。他に野球、サッカー、バスケなど各スポーツが無観客になったり いつも通り試合を近くで観戦する事も出来なくなり プロ野球開幕を楽しみにしていた 僕はとても残念です。
お店が閉まってたり、スーパーなどに商品がなかったり、マスクを買うのに行列だったり今まで見た事ない事ばかりです。まさに世界の危機だと言えます。町も人が少なかったり、イベントを中止したり、予定されてた事が取り消しになり悲しい人が沢山いると思います。自分も感染予防の為に、あまり外出せず消毒をしたり出来る事はこれからも続けたいです。 早く普通の生活が出来るようになって欲しいです。
未来は新しい
去年の今は、部活の筋トレメニューが厳しくて家に帰って来てきたらとりあえず寝とく、を繰り返していました。おばあちゃんは「部活大変だねぇ、頑張ってね。」と言っていた気がします。去年は金賞が取れなくて、先輩から次の大会はぜっつつつたい応援しに行くからね。と言われ、次こそは・・・と思っていました。当たり前がないのにそう思っていました。
いつからかどこかでコロナウイルスという肺炎がはやっているとニュースがやるようになってから、いろいろと動きだしたんだと思います。それからは光のような速さで世界中に広がっていきました。きづけばニュースは毎日コロナウイルスの話題でもちきりになり、テレビ番組は見たことある話題が多くなり、好きなアニメは再放送、近々放送するアニメも延期、しまいには宿題する時間よりスマホとタブレットをいじる時間のほうが多くなっている日常です。部活の筋トレメニューは三日坊主と化し、おばあちゃんは母に「最近は怖いね~」と言っています。去年の私はこんな事夢にも思わないでしょう・・・。
たくさんの人が大切な人を亡くし、お医者さんはリスクを背負って最前線に立ち、ビデオ通話が発達している今、「あなたの価値」が求められている時代、私はもう一度ど自分を見返して見ることにします。コロナウイルスにより、未来がどうなっていくのか、私の小さな夢はどうなるのか考えていきたいですね。
休校期間の使い方
コロナウイルスが広まって僕は本気で筋トレをはじめました。
僕は、元々空手を習っていたので腕立て伏せや腹筋、スクワットなど器具を使わ無いトレーニング はよくやっていました。その為同級生と比べると、少し筋肉がある方でした。そんな中コロナウイルスで休校になり家でユーチューブを見る時間が増えました。そして時々ボディビルダーの筋トレ動画を見ると、どの人も腕立てはせずダンベルやバーベルなどを使ってトレーニングをしていました。そこで自分も器具を使ってトレーニングをしなきゃ筋肉が大きくならないと思い家にあったダンベルを使ったり途中からどんどん新しい物が欲しくなり筋トレチューブを買ったり、筋トレについて書かれた本を買ったりなど休校期間で筋トレにはまってしまいました。筋トレは腕だけでも、二頭筋、三頭筋、前腕などそれぞれの部位によって違うトレーニングをしなければならないので、とても時間がかかります。なので時間が沢山ある今だからこそ本気で、出来ているのだと思いまた。
また、筋トレを始めた事によって食事も少し変わりました。筋肉は使っただけでは大きくならないので素となる物をしっかり食べなければなりません。そこで筋トレ後にプロテインを飲んだり、筋肉に良い食べ物を調べ積極的に食べるようになりました。
このように、自分は休校期間を通して、筋トレを本気で始める事が出来たので、この期間をとても有効的に使えていると思います。
コロナの恩恵
新型コロナウイルスは恐ろしい。
なんの罪もない人の命を容赦なく奪う。本当ならあったはずの明るい未来を容赦なく奪う。昨日あんなに元気に遊んでいた親友が、家族が突然この世から消え去ってしまう。感染予防のため、お葬式も出来ず死者は孤独な死を迎えたのだろう。なんて残酷なのだろう。
しかし、私は新型コロナウイルスの影響は悪いものばかりではないと思う。
感染拡大防止のため、各国で自粛要請が出されたり、都市封鎖が行われたりした。
人間にとってはとても良いこととは言い難いが、皮肉なことに、地球にとって新型コロナウイルスは良い影響をもたらした面もあるようだ。
中国では、今年1月後半にロックダウンが始まってから、二酸化窒素の濃度が最大30%低減した。ロサンゼルスやマニラなど世界の交通渋滞ランキング上位を占める市も、高速道路が空いて、渋滞や排気ガスからの一酸化炭素排出量も減り、大気汚染レベルは改善している。自粛期間は、工場が閉鎖され、道路交通量も少なくなったことで、二酸化炭素の排出量が普段より少なくなったと考えられる。
また自粛要請により家で過ごす時間が増え私たちの生活が大きく変化した。働けなくなったことでまともに生活ができない人もいる。一方で、私は普段の生活から解放されたようにも思えた。普段の生活は、朝起きたら学校へ行き、部活動を行い、帰宅後すぐに塾へ向かう。その後、帰宅して、寝るだけ。このような生活が繰り返される。もちろんこの生活が幸せだという人もいるだろう。毎日友達に会って充実した日々を過ごせるのだから。ただ、私は少し嫌だった。なぜなら、この生活に家族の時間は含まれていなかったからだ。
この自粛生活が始まって、家族と過ごす時間が圧倒的に増えた。時間も増えた。自分の好きなことができるようになった。一つのことにたくさんの時間をかけることができる。私は正直今の生活の方が好きかもしれない。
当たり前が当たり前じゃないこと
コロナは怖い。けれど、コロナのおかげで色々な経験をする事ができた。
2月27日、安倍首相が全国の小中高校に対し休校要請を出した。この事に対し、喜ぶ人が沢山いた。けれど、私は嫌で仕方がなかった。残り1年程の中学校生活で友達と会える日が少なくなってしまうからだ。
休校要請が出されてから様々な企業が休業していくようになった。こうしたことで、友達と一緒にディズニーに行く予定も、カラオケに行く予定も、全部無くなった。
それからは、味気ない日々を淡々と過ごしていくようになった。そんな日々でも毎日必ず頭をよぎるのは部活のことだ。私が所属している吹奏楽部は、コンクールに毎年出場している。それに向け1月から曲を決めたりしてきた。
けれど、コンクールは3密が揃わないと開催できない。だから開催できないだろうということは自分でもわかっていた。でも当時の自分は、できるだけその事実に目を向けないようにしていた。中学生として最後のコンクールという事もあり、絶対にコンクールを開催して欲しかったからだ。
5月10日、全日本吹奏楽連盟が今年の全国大会は中止にすることを発表した。部活のグループラインには後輩たちの悲しみの声が沢山送られていた。
私もとても悲しかったが、悲しんでいたって何も変わらない。コンクールは無くなってしまったけれど、部活の楽しみ方は他にも色々あると思う。だから、最後の1年も楽しかったと言えるような活動を考えていきたい。
コロナは嫌な事が沢山起こしてきた。けれど、このことがあったから当たり前の生活が当たり前じゃないということに気づけた。リモート会議などをする企業が増え、みんなが前よりも楽に過ごせるような取り組みが行われるようになっていると思う。
つまらない日々が続いてネガティブになってしまいがちだけれど、いつかは明るい未来が来ると信じて今ある時間を有効活用していきたい。
大人と私
「自分1人くらいいいだろう」この言葉が最近頭に浮かぶ。
大人は意外と想像力がない。
買い物をするために母と外に出ると、マスクをせずにランニングをしている人や、手を繋いで歩いているカップルや、大人数でスーパーに来ている家族を見る。マスクをしている人は多いが、自分が感染者かもしれないという事を考えてほしい。
小中高生は、学校に行けず自宅学習ばかりなのに、安倍首相は会見で、「みんなで協力」と言っていた。どこかで聞いたことあると思った。それは、学級目標だ。ただの目標であって、達成するための具体的な方法を呼びかけてはいない。それではお願いにすぎないし、それを聞いた人は行動してくれないと思う。私はそれを、学級委員をやっていても感じた。生徒が生徒に、「チャイム鳴ったから座って」と言っても効果がなかった。先生が怒鳴ってそれに従った。また、立ち歩いているとき先生が来た瞬間、いっせいに席に着く。先生に怒られるというような罰が無いと、行動することは難しいのだ。
私は、この休校中で、我慢強さが必要だと感じた。家にずっといるのは辛いことだから、少しくらいいいだろうと外出してしまう。感染しても、自分が死ぬことはないかもしれないけれど、家族や周りの人は重症化する可能性がある事を考えて、自分本位な生き方をしないように、コロナ世代として心がけたいと思う。
コロナの教え
「シーン」あのいつも活気に溢れている中華街が今は静まり返っている。ゴジラ襲来か?いや、コロナだ。それから、ずっと家にいる。最初は少し嬉しかったが、今はそうじゃない。コロナは色々なものを私たちから奪い、大きく世の中を変えた。しかし、気付かせてくれたこともある。
一番印象的だったことは、世界各国の対応の違いだ。コロナ対応の「優等生」である台湾、韓国、ドイツに対し日本政府の対応は遅れを取っているように思える。安倍首相のマスクは届かないし、10万円給付金もまだだ。私はマスクも10万円も、十年後には来るだろうと、長い目で見ることにした。9月入学にするという案も挙がったが、また問題点を見つけ出し、何度も何度も会議を重ねる。この緊急事態のなかで、自分の身は自分で守るしかないようだ。
そしてもう一つ、コロナは思いやりの心も教えてくれた。相手を守るために自主的にマスクをつけること、外出しないこと、手洗い・うがいをすること。「コ」「ロ」「ナ」この三つの字を足すと「君」という漢字になる。相手を思いやれなかった人はどんどん感染していく。コロナはまるで私達の人間性を試しているようだ。
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